なんだか生きていることにウンザリだ

 

希死念慮じゃない、ただこの先もこの鬱蒼とした脳みその密林で生きていくことがうっとおしい、まったく気概がない、生きていくことになんの気持ちもモチベーションもない。生きていくのか。いやだな。明日の天気が雨くらいの気持ちでいやだ。やだなあ。ほんとうにやだなあ。中途半端にいやでほどほどの徒労でメチャクチャにはなれないので、ただベッドの上で項垂れる肉体として存在しているだけだ。悲壮感も生まれない。あーもう眠れない。眠剤入れるしかないのか。あーーーーーーーー。今気が狂いたいのを毎秒我慢してる。そういう時がしばしば来る。でもそんなものに意味はなく、己の幼児性を許す甘さに甘んじすぎてる、あ、ああああ、ああ、あ、あ、………。甘んじ過ぎてる己への縛りとして、人としてあるべく我慢する。我慢する。我慢する。ほんとは手当たり次第ものを投げたい。叫び出したい。腕にフォークとか刺したい。毎瞬間、衝動がそうした時と自分を思い描かせてそこへ辿り着かせようとする。未来の残像をいくつも生む。現実と空想が捩れる。

少し発作が収まった。冷静になる周期だ。毎度毎度同じ情念と同じ嗚咽を溢して、進歩のない憂鬱に価値があるのかと戒める余裕が生まれる時間。そう思い返せば憂鬱でいることにも飽きた。その毎度の律儀な反復を一蹴するのも飽きた。どうなるのにも飽きた。そして前には進めない。疲れた。自殺する人ってどんな筋道を経た境地で死へ至るんだろう。生きていることの苦痛の熱が死を熱烈に求めるとばかり錯覚していたけど、もしかしてこんな風にしてしに近付くんだろうか。今日の私はしに正当な形式で近いのだろうか。こうして人はしんでいくんだろうか。お腹がすいた。肉体はワガママだ。散々に泣いて、かわいげでも見せ付けるように自然体の愛嬌をシステムに組み込む。

 

価値。なににもない。なにも興味がない。なにも見たくない。なにもなくていい。誰にも優しくしたくない。誰にも優しくされたくない。誰にも触りたくない。誰にも触られたくない。誰からも理解されたくない。多分誰も理解できてない。解釈。勝手にしろ。前頭葉が沼色に光り、私の目と空想上の他者の目を交互に入れ替えて入り混じる、それって私が生まれながらに病気ってこと?だったらどうなんの?私ってこれから解放される時が来るの?来ないまましを待つしかない?じゃあまた全部に意味がなくなっていくんだ。疲れた。疲れてない。平気。大丈夫。実はぜんぜん大丈夫。ただ明日にでも死ねたら幸福なだけで、私自体は全然大丈夫。